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”霧(kiri)”

自分で楽しんだ登山の記録を思い出しながらもう一度楽しんで書いています。 このブログを見ていただいた人に山や自然に興味をもっていただき、そして好きになって頂ければとてもうれしいです。 更にコメントをいただけるとなおうれしいです。コメントは山行名をクリックすると一番下に投稿欄が出ます。
”霧(kiri)” TOP > 2012年03月

葛葉沢(丹沢)

日程  :2012年3月30日
メンバー:単独
天気  :曇り後晴れ風強し
ルート :葛葉の泉8:40→9:35板立の滝9:55→10:13林道→10:40二俣→12:07三ノ塔山頂12:15→12:35ニノ塔→(ニノ塔尾根)→13:14林道→13:45葛葉の泉
葛葉軌跡

記録
 やっと春めいて来たので葛葉沢に行く。いつもはあまり気にもしなかった滝も一人だと良く目に付き、こんなに小滝があるとは初めて気付いた。
葛葉01
葛葉の泉

葛葉02

葛葉03

葛葉04

葛葉05

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葛葉09

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葛葉11

葛葉12
  タヌキのようなアナグマのような動物が逃げ込んだ巣穴。穴の周りは彼らの道がハッキリついていた。

葛葉13

葛葉14

葛葉15

葛葉16a
 板立の滝 比較的立っていて途中にハーケンが2箇所、抜けたところにペツルが2本ある。ここで初めて自分で考案した単独登攀システムを使ってみた。
システムの概略は①先ずロープをアンカーとなる物(今回は石)にシッカリとフィックスする。②確保器とフレンチでロープと自分を繋ぐ。③巾広1,2mシュリンゲでチェストハーネスを装着しメインロープを通す。④ロープのもう一端は今回は短いので絡まないように下に置いた。(長い距離などの時はザックに入れて繰り出すらしい)
後はロープを自分で繰り出しイながら普通にランニングビレーを撮りながら登りました。ロープの繰り出しガ面倒だったので要改良です。

葛葉17

葛葉18
 滝の上に林道のガードレールが見える。

葛葉19

葛葉20

葛葉21

葛葉22

葛葉23

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葛葉26

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葛葉28

葛葉29
  富士形の滝

葛葉30

葛葉31

葛葉32

葛葉33

葛葉34

葛葉35

葛葉36
  小さな雪渓?があった。

葛葉37
  ガレ場でチェーンスパイクを着けた。下山の山道もこのまま歩いたが泥や草の上でも滑らないので歩きやすく、結果的に楽で時間も短縮出来る優れ物だ。片足150g。

葛葉38
  三ノ塔山頂の避難小屋。

[ 2012/03/30 22:09 ] 沢登り | TB(0) | CM(2)

南相馬ボランティア

昨日3月28日に東北のボランティアから帰ってきました。
被災地では写真撮影禁止(自粛)なので文章で概要を記します。

活動場所:南相馬市の原町地区と鹿島地区
(南相馬市は2006年に北の鹿島町、中の原町市、南の小高町が合併して出来ました)
東北震災とそれに伴う津波による原発の事故で南の小高地区は20kn圏で避難地域、中の原町地区は屋内退避、鹿島地区は普通と3つに分断されました。

日程  :2012年3月21~28日
受け入れ先:南相馬社会福祉協議会が業務を委託しているボランティアセンター
メンバー:単独個人参加
食事関係:愛車”子ブタちゃん”の中で自炊
     朝はコーヒーと果物
     昼は朝炊いたご飯で作ったオニギリ
     夜はご飯を炊いてレトルトカレーなど
宿泊  :センター内の畳の部屋
風呂  :市が発行した無料入浴権で銭湯に行く。
記録  : 
準備 まず現地の受け入れ先に連絡して受け入れ証明書をもらい、高速道路の「災害派遣車両」の手続きが必要だ。受け入れ証明書を最寄の市役所(役場)に持参して災害派遣車両証明を発行してもらい、高速の料金所(一般ゲート)で提示すると通行料が無料になる。(この制度はどうやら3/31で終わる)
(エピソード)南相馬の社会福祉協会が委託しているボランティアセンターに電話する。私「もしもし、ボランティアしたいのですが」センター「いいですよ、お名前と年齢を」私「○○で67歳です」センター「エッ!67歳!ウ~ン・・・・・」私「67歳はダメですか?」センター「いや、そんなことはないけど・・・・・以前のお仕事は何ですか?」私「事務職です」センター「事務ですか・・ウ~ン!・・・・」私「事務はダメですか・」センター「そんなことは無いけど・・・・じゃ!一応来ますか?」私(だから行くといっているのに・・・)
往路 希望に燃えて高速を走り、出口で災害派遣車両証明を提示すると「通行券は?」私「ウッ?」係りの人「入るときにもETCではなく一般ゲートを通って通行券を持ってきてください。今回は何とかします」などがあり、何とか無事にセンターに到着。
申し込み時に応対してくれたセンター長にあって「よろしくお願いします」と顔を上げると(なんだ!こっちと大してかわらない年恰好じゃないか・・ブツブツ・・と心の中でツブヤク)
作業1日目 作業開始前に海の方を向いて黙祷してから津波がかぶった水田の瓦礫除去を11人でやる。表面にはあまりないがちょっと掘るとざくざくと出てくる。
作業2日目 6人で津波で被災した家の畑の瓦礫撤去。1偕は壁が波に持ちさらわれ柱のみ。まず、玄関に飾られた小さなお子さん2人とおじいさん、おばあさんの写真に低頭し合掌。涙が滲む。海に向かって黙祷後作業開始。波で養分が無くなった畑の土はコンクリトのように固まっていた。これを耕して生きることの過酷さを思った。
作業3日目 相馬野馬追いの会場で催されるイベントの駐車場整理係を担当。会場に着いたが強風と寒さ、雪が舞いだしてお客様の出足悪く、駐車場整理は不要となった。午後から1日目の農地の瓦礫撤去
作業4日目 津波を被って土手が壊れたため池の中の瓦礫撤去。膝までもぐるぬかるみの中での作業であった。
作業5日目 昨日に続いてため池の瓦礫撤去。北風は寒いが昼休みに土手の陽だまりでいろいろな地方から集まった、いろいろな年代の人たちとの語らいは楽しく心が和む。
作業6日目 小高小学校の引越し手伝い。プレハブ校舎が鹿島中学のグラウンドに出来上がったのでこれまで間借りしていた鹿島小学校からの引越し。引越しはこれで4回目とか。先生方や父兄の人たちと一緒になって、いろいろ話しながらの作業は楽しく仕事もはかどった。
帰路 一週間いると慣れてきて、仲間も沢山できて、別れて帰るのは後ろ髪を引かれる思いだった。
後書き 辛い作業もあったけど、知らない人たちが一つの目標に向かって協力することは自分にとってもとても有意義だったと思います。
南相馬の小高地区は4月15日に避難解除となります。ボランティアセンターも小高地区に引越します。
住民の人たちが我が家に戻れば、またお手伝いさせていただく仕事も出てきます。
発災から1年、多くの被災地ではボランティアが出来る仕事は翳られてきていますが、20km圏、計画的避難地域の復旧復興はこれから始まりますので、多くの支援が必要です。どうか手助けをお願いしたいと思います。
 「瓦礫1個を拾うだけで清清しく豊かな気持ちになります」
[ 2012/03/29 14:34 ] その他 | TB(0) | CM(1)

”青春を山に賭けて”

植村直己

植村直己さんの”青春を山に賭けて”を読んだ。
私は自慢ではないが(本当に自慢ではないです)今まで山の技術関係やガイドブック、雑誌は読んだことはあるが紀行文や小説、エッセイなどを読んだことが無かった。それが急に植村直己さんの本が読みたくなったのだ。
今まで植村さんはいろいろな登山家の中でなんとなく親しみを覚えてきた。なぜかというと植村さんは登山家とは言いながらも筏での川下りや犬橇での雪原横断など山とは言えないことにも情熱を燃やす人だからかも知れない。
実は私ごとで恐縮だが私も40代のころカヌーでの川下りに嵌ったことがある。茨城県の那珂川、静岡の大井川、山形の最上川、岩手の北上川、北海道の手塩川、釧路川などを源流から河口(海)まで一人で下った。
そして犬橇は無理だが鉄馬(バイク)に跨って一人で九州から北海道まで走り回った。
恐れ多いことだが何だか似ていると感じていたのかも知れない。
そして人柄だ。今回、表題の本やサイトで見た限りかなり劣等感を持っていて控えめな人だったようだ。実は私も劣等感の塊で口下手で人前が嫌いだ。(これは自己評価であって、知人たちは認めてくれていないが)
とても親しい知人が植村さんの講演を聞いたことがあり、それを自慢にしていた。「楽屋で二人だけで30分話した」というのだ。その人は植村さんと同い年だがたまたま「名前(直己)の由来は?」と聞いたところ、「巳年生まれだから」との答えだったそうである。
その話を聞いたときから植村さんが好きになり、一度講演を聴きたいと思っていたがマッキンリーの冬季単独登頂後消息を絶ってしまった。とても残念です。
植村さんは私より4歳年上のお兄さんである。いま健在なら71歳だ。会って見たいな、植村さんに。

ところで初めて読んだ表題の本の内容は明大山岳部、カリフォルニアの農場での資金稼ぎ、モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグア、アマゾン川、エベレスト、マッキンリー、ジョラスまでのぎりぎりの体験を駆け足で書いてある。ご自分で言われるように「自信あるのは体力だけ」がボクトツとした表現で滲み出た構成だ。その一つ一つが十分一冊になるほどの内容とボリュウムなのに・・勿体無い!是非一つ一つをもっと詳しく聞きたいと思った。
意外で面白かったのがキリマンジャロの麓の村でキクユ族の娘さんと一夜をともにし、初めて大人になり、朝「一緒に住んで欲しい」とせがむ娘さんを振り切ってキリマンジャロ行きのバスに乗ったことや、アンデスの山越えのバスでアマゾンの任地に向かう若い修道女さんに恋して思いを打ち明けたら「私は修道女だから全ての人を平等に愛します」とやんわりと振られ、アマゾン下りの筏にその人の名前を付けたり、厳しい氷雪の壁でその人に「助けて!」と頼んだりということまで書いているのです。
あんな偉大な人の中にヤッパリ普通の人の面(人間味)もあるのだと更に親しみがわきました。
マッキンリーからひょっこり帰ってきて、いろいろな話を聞かせてもらいたいな~ トツトツと。

今回、急に本を読むようになった切っ掛けは電子ブックを手に入れたからだ。
ここ10年近く本を読むのが億劫になっていた。それは老眼で文字が判読できなくなったから。特に朝夕や室内では単行本などの文字は見えない。ところが電子ブックなるものが出て、文字の大きさを変えられるのを知った。大きな文字なら読めるぞ!と早速ソニーのリーダーという商品を買い、本をダウンロードして読み始めたのだがとても具合よい。いつも手元に置いてほんの少しの時間でも読んでいる。待ち合わせなどでは約束時間よりも早めに行って読む。ちょうど佳境に入ったときに相手が来ると「もう来ちゃったのかよ!多少遅刻してもいいのに!」と思うようになった。電池は1万頁読む分持つとカタログに書いてあるし(使った感じはその半分ぐらいか)これはお勧めの優れものです。(老眼鏡を100円ショップで買った方がよいかも知れないけど)

という訳で今は植村さんの2冊目”極北に駆ける”を読み始めました。

山好き、アドベンチャー好き、大自然好き、犬好き、風が好き・・・の方、植村さんの本を読んでみてください。
たちまち植村さんのファンになりますよ。(まだ1冊読んだだけのくせに!)

[ 2012/03/17 19:45 ] | TB(0) | CM(2)

檜洞丸(丹沢)

日程   :2012年3月15日
メンバー :単独
コース  :西丹沢自然教室7:36→(東沢経由)→8:12登山道合流→
      8:35ゴーラ沢出合8:40→10:23東沢大棚下降点10:33→
      10:47石棚山稜→11:04檜洞山頂11:34→12:29矢駄尾根分岐→
      12:55小笄→13:26P1288→14:33犬越路14:50→
      15:56用木沢出会→16:23西丹沢自然教室
檜洞軌跡

装備   :(ビバークセット)ツエルト、ガスセット、コッフェル
       (衣 類) 雨具、手袋、防寒着
       (雑 貨) アイゼン(チェーンスパイク)、サングラス、ストック、携帯電話、
             カメラ、時計、ヘッドライト、予備電池、金銭、筆記具、持病薬、
             免許証、水筒、ロールペーパー、コップ、タオル、ファーストエイ
             ドキット、笛、食料、大袋、ツエルト、保険証
       (ナ ビ) GPS、 地形図、コンパス、高度計
      *“暑さ寒さも彼岸まで”というので防寒装備はかなり少なくした。

記録   :暇だな~と思いながら急遽雪の檜洞丸に出掛ける。
 檜洞1
 大笄、小笄方面。雪が沢山あって小コウゲのルンゼは雪がべったり付いています。

檜洞2
雪とトウゴクミツバツツジの木です。5月末になると薄紫のトウゴクミツバと真っ白なヤシオが咲き乱れるでしょう。

檜洞3
石棚山稜です。青い空に丹沢とは思えない雪が映えています。

檜洞4
檜洞山頂近くの桟道です。これからみると積雪は50~60cmでしょうか。

この先でソーラパネルと箱に入った機器を取り付けている工事に出会いました。聞くとブナの立ち枯れなどの調査のためのオゾン測定装置だそうです。青ヶ岳山荘に泊まっての作業だそうです。
でもブナ?オゾン?・・・もしかしたら放射線自動測定装置かな?と疑念が湧きました。

檜洞5
檜洞山頂。指導標の高さから積雪量は6~70cm。

檜洞6
山頂から西を見ると大室山にベッタリと雪が付いていました。

檜洞8
山頂から下る途中のお約束”富士山”

檜洞7
山頂直下の下りは両側が急斜面で少し怖いです。通り越してホッと振り向いたところです。

檜洞9
丹沢とは思えぬ雪景色。左側(中川温泉側)に小さな雪庇が出来ていました。

ここで大きな荷物を背負った若者が前から来ました。聞くと工事の人用の食料を青ヶ岳山荘に上げるのだそうです。足には25インチのMSRのスノーシューをつけており、「これがないと大変だ」と言っていました。スノーシューも一般化してきたなと関心しました。
そして檜洞への最短且つ楽なルートは神ノ側ヒュッテから矢駄尾根なのかと改めて知りました。

檜洞9a
この白い尾根の先端から小笄の急下降が始まります。

小笄から犬越路まで写真はありません。それは小笄の下りが雪がベッタリ付いた急峻な斜面で写真どころではなかったからです。数箇所鎖があったけど、無雪期なら「この鎖は邪魔だ」などと嘯くのですが今回は鎖さまさまで、すがり付いて下りました。でも鎖があるところはまだ安心できます。その他の急峻な雪面はいつすべるか・ヒヤヒヤもので後向きで下りました。
今回、お助けロープを持ってこなかったことを悔やみました。6mm15mがあれば安心安全で下れます。
ハイキングと言えども6mm15mを1本と簡易ハーネス用の1.2mのシュリンゲと環付きカラビナを1つ持つべきだと改めて身にしみました。

小笄をやっと下ったら今度はブッシュ攻撃です。この辺りはまだ鹿の食害が少なく笹が生い茂っています。雪が無ければ笹の間にシッカリした道がありますが、雪が笹を押し倒してどこが路なのかわかりません。雪の下は笹の空間なのでそこに落ち込んで四苦八苦。そして笹が曲がっているので足がそれにかかって、まるでワナに掛かったイノシシみたいな状態で写真どころではありませんでした。
この苦労をお見せできないのが残念です。

檜洞9b
犬越路で一休み。ここからは足を前に出すだけで2時間弱で西丹沢自然教室に戻れます。ホッ!としています。

[ 2012/03/16 12:11 ] 積雪期 | TB(0) | CM(2)

湘南平(大磯・平塚)


日程   :2012年3月14日
メンバー :単独
コース  :湘南平山頂駐車場14:45→16:00麓→(往路を引き返す)→
       16:40湘南平山頂駐車場
湘南平軌跡
 今回は標高180mの山頂までバイクで上がり尾根を縦走して標高5mの麓におりてから再度往路を登り返した。

記録   :今朝体重を量ったら1.5kg減っていた。ダイエットの効果が見られた!と喜んで以前から気になっていた湘南平に出掛けた。
天気もよく近いこともあってバイクで山頂の駐車場まで上がる。

湘南平1
  もう15年も付き合っている愛車。スズキの200ccでオーストラリアの牧場で馬代わりに使う車種

湘南平2
山頂は広い広場になっています。その端っこにテレビのアンテナ塔が立っていて展望台も兼ねています。

湘南平2a
展望台から見た東の方です。平塚、茅ヶ崎の町並みと江ノ島、三浦半島、湘南の海が見えます。

湘南平2b
北方には大山と丹沢がありますが丹沢は雲が掛かってみえません。

湘南平2c
この展望台は危険防止のため金網で囲ってありますが、その金網にたくさんの鍵(錠前)が掛かっています。これは若い恋人や若夫婦(中にはそれなりの恋人や夫婦も・・・)が愛を誓って二人でつけてからキーを捨てるのだそうです。愛のキーは硬くてもう外すことは出来ません。(早まった~!・・と後悔するカップルもいるかもね)

湘南平3
冬枯れの雑木林の中で青々とした葉っぱとその陰にピンクの実をつけた青木が彩りを添えていました。

湘南平5
ヤブツバキも咲いています。

湘南平4
冬の花、スイセンです。(ワザワザ言わなくても分かる!!)

湘南平6
尾根の途中に小さなキレットがあってこんな橋も架かっています。

湘南平7
そしてこのような岩場もありました。
むかしむかし、紅顔の美少年(高校生)だったころ、もう少し下の岩場で先輩からザイルワークを教わりました。
そしてまた後輩にそれを伝えたのを懐かしく思い出しました。
そう、ここは○○高校山岳部のトレーニングの山だったのです。

そんなことを思いながら一度麓に下りてからまたほぼ同じ道を登り返してきました。
下りは膝を痛めないようにのんびりと時間をかけて、上りは一所懸命が私流です。
[ 2012/03/14 18:42 ] ハイキング | TB(0) | CM(0)

岩殿山(山梨大月市)


日程   :2012年3月12日
メンバー :単独
天気   :晴れ
コースタイム:大月駅1030→10:55登山口→
      11:05公園→11:30兜岩分岐→11:50山頂(本丸跡)→12:00兜岩分岐→
      12:30兜岩→13:30稚子落し→14:00吊り橋(瑞仙橋)→14:30大月駅
岩殿山軌跡

記録  :中央高速を通るときいつも見上げる岩山がある。岩殿山だ。昔城だったと聞いたがさもあらん。一度は訪れたいと思っていたがなかなか機会がなかったがやっと行くことが出来た。
いろいろ調べた結果、登山口に無料駐車場があることを知ったが、今回は中央沿線の山に行く定番?方法を試みた。
相模湖駅近くの有料駐車場に車を置いて電車で麓近くの駅に行き、下山したらその近くの駅から相模湖駅に帰ってくるというもの。これは縦走して登山口の駅と下山口の駅が違う場合の方法だが今回は大月駅を基点とした周回コースなので本当は意味が無い。でも電車で山に行く・・・なんとなく旅情を感じさせるではないか。

岩殿山01
大月駅のホームから見た岩殿山。

岩殿山02
途中の越線橋の上から見た岩殿山。迫力がある。

岩殿山03
橋の上から見た桂川(相模川の上流) さすが水量が多くて激流が岩を噛む。

岩殿山04
橋を渡ると左側に市営の無料駐車場がある。13台くらい置ける。

岩殿山05
少し先に登山口がある。ここの下に中央高速のトンネルが3本ある。

岩殿山06
ふれあいの館の門。ここを潜って行きます。その前に左側の看板で岩殿山の歴史を学ぶと一歩一歩の辛さも感慨深いものになります。

岩殿山07
ふれあいの館への途中で振り返った大月の市街地。背景の山の間に富士山が見えます。空が明るくて、町が暗くて、白い富士山が飛んでしまいました。どうやったらうまく写せるのでしょうか?? 

岩殿山08
鏡岩と呼ばれるのだそうです。登攀意欲をそそられるな~ でも藪岩でも取り付くフリークライマーも手を出していません。どうしてなんだろう?

岩殿山09
ふれあいの館があるところは丸山公園って言うのか! 桜の木がたくさんあるのであと3週間で花園になるのでしょう。

岩殿山10
丸山公園の門です。昔はここに番兵が二人槍を持って立っていたのでしょう。

岩殿山11
ふれあいの館と鏡岩です。資料館の中にはプラネタリウムもあるそうですが今日は休みなのか閉っていました。
それにしても後ろの岸壁はいいな~ ハングもあって乾いているし。

岩殿山12
更に登って鏡岩を見上げました。凄いな~

岩殿山13
自然石の城門です。う~ん、これでは攻める方は大変だったでしょう。

岩殿山14
自然門の岩を見ると・・分かった!フリークラーマーが目をつけない理由が! ここの岩は礫岩で泥が固まったところに丸い磨かれた大小の砂利が詰まっています。この砂利はスポっと抜けそうです。これじゃ登る気になりませんね。クライマー目線はここで終了です。

岩殿山15
黒岳、滝子山方面は雪がありました。

岩殿山16
山頂から見下ろした大月市街です。前に桂川が堀になっていて後ろは山に挟まれています。城を作ったら守りやすそうです。ここは関東平野と甲府盆地を結ぶ交通路。武田氏がここを抑えた理由が分かるような気がします。武将目線で地理地形を見てみました。

岩殿山17
山頂にはアンテナがたくさんありました。ここは岩殿城の本丸があったところです。そして昔の通信手段の狼煙場でもありました。昔も今も通信に重宝な場所なのですね。なんだか不思議な感じです。

岩殿山18
兜岩の岩場① 表面に砂がザラザラとあるので滑らないように注意しながら通過します。ロープもあるので心配はありません。

岩殿山19
兜岩の岩場②

岩殿山20
兜岩の岩場③

岩殿山21
兜岩の岩場④

岩殿山22
兜岩頂上から振り返った岩殿山です。小さな山でこの上に城があったとは・・・城というよりも砦だったのでしょう。立てこもれるのは100人くらいの兵士が精一杯でしょうがそれでも堅固なので落城させるには何倍もの兵力と何ヶ月も掛かるので戦略的な役割は十分果たせるのでしょう。武田信玄になった積りで見てみました。

岩殿山23
稚子落しの岩場①  今山行の二つ目の見所です。スパっとした岸壁です。道はこの上を通っていますが普通のハイキング道なので危険ではありません。でも下手に覗こうとすると危ないです。

岩殿山24
稚子落しの岩場② 反対側の斜面の岸壁です。この岸壁は小さな谷のどん詰まりを50~70mの高さの岸壁がぐるっと取り巻いている地形です。多分下から見たらまた違った素晴らしい景色になるでしょう。

岩殿山25

浅利地区がわの登山口の吊り橋です。瑞仙橋と書いてありました。また「古いので一度に渡るのは二人まで」と看板が出ていました。
下は浅利川でかなりの急流でした。

ここを渡ると自動車道で大月駅まで30分です。
[ 2012/03/13 11:17 ] ハイキング | TB(0) | CM(0)

スノーシュー締具修理

昨日、今日と雨が降り続いているのでスノーシューのバインダーの改造を行った。

今までの経緯
・オリジナルのウレタンゴムバンドが経年劣化でボロボロになったので取りあえずはアイゼンのバンドで代用していた。
・しかし、狭い留め金6箇所にバンドを通すため、冬用手袋では作業が出来なく素手でやっていた。(寒かった~!)
・何とかせねば・・とリング二つで締めるシステムを考えホームセンターでキーホルダー用リングを買ってきて取り付けたが、リングの強度不足で力が加わると変形してしまった。
・もっと強度のあるものをと金属製リングをサイトで探すがない!。あっても鉄線を曲げただけで溶接してなかったり、溶接してあるものはサイズが大きかったりした。
・ふと車の部品のパッキン(座金)は?と探してみたらエンジンオイル排出孔に使うOリングが使えそうだと分かった。しかし驚いたことに各メーカー全部が形やサイズが違うのだ。その中でスバルが合いそうなのでサイトで12個(一箇所2個×左右で6箇所分)を購入した。価格は60円/1個であった。
早速取り付けて使ってみるとほぼいいのだがちょっとサイズが大きく締まりきらない面がある。そこで再度探したところスバルにワンサイズ小さいものがあることが分かったが、どうもOリングの代用では気に入らない。
・そこでサイトをあちこち見ていたら線コキというバンドに使う金具が具合良さそうなことが分かった。いろいろサイズがあるが幅15mm長さ20mm金属の太さ2.5mmのものを購入した。(40円/1個)
コキ1
  これが線コキというものです。私はNETで購入したが手芸店などにあるらしい。

コキ2
 線コキを使った完成品を左側から見たところ。踵の青いテープも以前自分のサイズに合わせてフィックスしました。

コキ3
 右側から見るとこうなります。

スノーシュー脱着の手順
コキ4
手順① 先ず緑色のフックに赤い紐を掛けます。
  フックは2mmの針金で自作しました。見栄えは今一ですが左右で6箇所つけていると次第に慣れてきます。

コキ5a
手順② 線コキに着けた赤い紐を引きます。するとシッカリ締まって緩まなくなります。線コキも針金でスノーシューに取り付けました。

コキ6
手順③ スノーシューを外すときには線コキに取り付けた青い紐を引きます。するとスッと緩みます。

以上で完成です。

見栄えは不細工ですがシステムとしては特許ものだと思っています。多分オリジナルより使いやすいと思います。(自画自賛)
長所 
①着けるのも脱ぐのも冬用手袋のまま操作できる。(室内での実験結果より)
 ②シンプルで軽い。
 ③何よりも安価。 
短所:以下が今後の要チェックポイントです。
 ①針金や線コキの強度不足で変形したり、最悪の場合外れることは無いか?
 ②歩いている内に緩まないか?
 ③青い紐がブッシュなどに引っかかると簡単に緩む。
 
深雪をスノーシューで進み、それが壊れて使えなくなってツボ足になると戻るには数倍?の体力と時間が必要になります。つまり浮き輪で沖まで行って、そこで浮き輪に孔が開くようなもので遭難ものです。
想定される短所の押さえ
当分アイゼンバンドを携帯し、それを通すオリジナルの部品もそのまま残してあります。しばらく使って安全が確認できたとき、それを外して完成です。

どっかスノーシューハイク(登山)に行きたいな~
[ 2012/03/10 15:00 ] 道具 | TB(0) | CM(0)

二ツ塚(富士山)

日程   :2012年3月8日(木)
メンバー :単独
コース  :水ヶ塚駐車場(標高1450m)7:40→8:40須山口登山道一合五勺→9:13(仮称:バス停)→9:52須山口下山道一合五勺→10:07幕岩上→11:00二ツ塚鞍部→11:10二ツ塚山頂→12:25最高到達点(1974m)→13:17幕岩上→13:35須山口下山道一合五勺→13:54(仮称:バス停)→14:45水ヶ塚駐車場
富士山双子山スノーハイク
 地図中の赤字は私が便宜上書き入れた名前(バス停は実際にバスが停まる停留所ではありません。バス停のような小屋があったので仮にこう呼びました)

記録   :前回の山行から雨やなんだかんだで一週間、そろそろ歩かねばならない・・・と使命感というか脅迫感と言うか、今回も雪が消えぬ前にと富士山裾野の二ツ塚に出掛けた。
二ツ塚01
水ケ塚駐車場です。2週間前には雪で一杯だったのですが・・もう春ですね。

二ツ塚02
一歩須山口登山道に入ると雪が残っていました。

二ツ塚03
一合五勺から右に折れて幕岩に向かうトラバース道に入ると雪が増えて来ました。この辺りでツボ足からスノーシューに変えました。

二ツ塚04
これが地図のところで説明した”バス停のような小屋?”です。ここは登山道だからバスはいつまで待っても来ません。くれぐれもお間違えのないように。

二ツ塚05
須山口下山道との合流点です。ここまでは水平のトラバース道ですがここから登りになります。雪は次第に増えてきました。 *ご注意 須山口登山道と須山口下山道は別の道なので混同しないようお願いします。

二ツ塚06
幕岩上を過ぎたところにある沢です。一気に積雪は1mくらいになりました。雪は腐っていてツボ足だと腿まで潜りそうです。スノーシューでは5~10cm位なので快適に歩けます。本来の登山道は左岸(右の岸)の上にあります。

二ツ塚07
雪渓のような沢を少し歩くとイキナリ富士山本体が現れます。この写真ではうまく写っていませんが純白の姿は神々しい感じでした。この時期でないと見られない風景です。

二ツ塚08
雪渓のような沢を詰め、富士山本体の大斜面に突き当たって雪原を歩いて二ツ塚の麓でスノーシューを脱いで二ツ塚山頂に登りました。二ツ塚の南と西の斜面の雪は融けていました。山頂は風が強く寒かった。

二ツ塚13
上の塚から下の塚を見下ろしたところです。下の塚の山頂は少し凹んでいて小さな火山であることが分かります。

二ツ塚10
二ツ塚から富士山の雪の斜面を宝永第3火口に向かってトラバースし、地図に書き入れた”最高点”への途中で振り返った二ツ塚です。なにか神秘的な風景です。

二ツ塚11
第3火口手前の尾根です。富士山はノッペリして起伏がなく詰まらない山と言われることもあるけど、この辺りは雄大でダイナミックに起伏しています。

二ツ塚12
下る途中から見た二ツ塚。上下に二つきれいに並んでいます。

今回はあわよくば第二火口辺りまで行こうと思ったが果たせませんでした。
しかし、誰もいない富士山南面の裾でタップリと雪遊びを楽しみました。
あと、一雨二雨でこの雪も消えるかも知れないと思うと何だか寂しいような、でも唐松が新芽を吹く春が待ちどうしいような・・・柄に似合わない感傷的な気持ちになったのです。
[ 2012/03/09 11:04 ] 積雪期 | TB(0) | CM(2)

登山口までの足

今回は暇なので山に行くための足についてツラツラ書いてみます。
昔は大きなキスリングというザックを背負って、皮の重登山靴を履いて、フラフラと駅の階段を上り下りして、新宿駅や上野駅の夜行列車待ち合わせの列に並んで、乗り込むと網棚にザックを押し込んで、椅子の下に潜り込んで寝て、麓の駅に着くと窓からザックを放り出して、自分も窓から這い出して、駅前のバス停に並んで、乗り込むと膝の上にザックを載せて、下りたら長い林道を登山口まで歩いて・・登って・・下山したらこの逆の行程で疲れた足と汗臭さに自分で咽びながら帰るのが常でした。
山に関係ない一般のお客様にはさぞかし嫌な思いをさせたと思います。
改めてご理解とご協力に感謝し、ご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。
その頃の夢の一つが登山口まで車で入ることでした。
そして今は車に荷物を放り込んで、登山口で車中泊して、・・登って・・下山したら途中で日帰り入浴して家の玄関まで暖かい車内に座って帰れるようになりました。
という訳で今回は私の山までの足の車について自慢話を一くさり。

愛車
・車  名:スバルサンバーディアス クラシック
・グレード:スーパーチャージャー・4WD
軽自動車のワゴンで4輪駆動、ターボ付きです。
中古で手に入れました。
サンバー1
外観はこんな感じです。フロントマスクが可愛いです。仲間からは”子ブタちゃん”と呼ばれています。

サンバー2
人間が乗る場所です。これでも大人4人がユッタリ乗れます。軽自動車の乗車定員は4人以下と法律で決められています。
ときどきコッソリ5人乗ることもあります。山の中だけの短い移動では10人乗ったことがあります。

サンバー3
荷物を乗せる場所です。冬山装備4人分をタップリ乗せて余裕があります。

サンバー4
寝る場所です。仲間内では”お座敷”と言っています。
大人3人(仲良しなら4人)が足を伸ばして寝れます。
時々この中で宴会もします。大人6人が入ってお茶したり、料理したりしておしゃべりします。

お座敷にするには
・荷物を運転席と助手席に移します。ピッケルやストックなどは車の下の地面に入れます。
・後席の背もたれを前に倒して、更にその背もたれと座面を一緒に前に倒して足元に格納します。
 これで幅130cm長さ185cmのまっ平らな場所ができます。
・そのままだと小さな凸凹があり寝にくいので、荷物室にたたんで重ねてあったベニヤ板を敷き、更にその上に銀マットを広げます。これに掛かる時間は荷物の移動時間を除けば1分です。

サンバー5
小物入れの棚です。荷物室の天井付近に設置けました。
「あったらいいな」と思う小物はなんでも出てくるドラエモンのポケットです。
室内灯はオリジナルを使うとバッテリーがあがって、エンジンが掛からなくなるのでホームセンターで電池式のものを買ってきて取り付けました。

サンバー6
リヤゲートです。赤いロープは背の低い人が開けてあるゲートを閉めるときに引っ張る取っ手代わりです。
その右側の細く短いく青い紐はゲートを内側から開けるための取っ手です。これを下に引くと内側から開けられるようにしました。とても便利です。

その他の工夫
・長いスプリングに交換して車高を5cm上げ、林道など凸凹道を走りやすくしました。
・タイヤは夏は農道を走る農家の軽トラのタイヤ、冬も軽トラのスタッドレスタイヤを付けています。
 軽トラ用だから1本4~5千円ととても経済的です。
・カーナビは3.5インチのガーミンを1万5千円で買いました。普通、登山口は住所や電話番号などないので緯度経度を入力して行く先を決定します。ワンセグも見れないし、音楽も聴けないけどシッカリと音声で案内してくれます。仲間内で”ナビのなっちゃん”と呼んで親しんでいます。

交通費は必要経費を自分をいれた乗車人数で割り勘にしています。
必要経費とは高速代、ガソリン代、そして「車はガソリンだけでは走らない」ので1kmにつき10円を目に見えない諸経費としています。
違反は運転者持ちで事故などは乗っている人で協議することにしていますが事例はまだありません。(違反はあります)
税金は1年間7,800円で安いです。
山に行く費用は公共交通機関利用をりも大幅に安く(平均1/3)その分余計に山に行けます。

盲点としては登山靴をよく忘れます。サンダルやスニーカーで出掛けるのでよく忘れました。いまでは計画書の装備欄に登山靴も書くようにしてチェックしています。

スバルにした訳 
軽の1ボックスは大人4人が乗って、山道具を満載して狭い林道を登山口まで行くには必要十分な大きさをしなえています。
三菱、ホンダ、スズキ、ダイハツにも軽ワゴン(1ボックス)があるけど、選んだ最大の理由は①後席が簡単にたためてフラットになり、そのときの広さが1番ということです。
他のメリットとして②エンジンが一番後ろにあるので静か③4気筒なので滑らかなどがあります。
他のメーカー車に劣るのは前輪が椅子の下にあるのでホイールベースが短く横風に弱い、価格が高い(中古でも高い)などがあります。軽だからもう少し燃費がよければな~(平均12~14km/L)

今、私の愛車”子ブタちゃん”は11歳で10万km走っています。あと6年くらい乗る積りでその後もスバルにしたかったけど、スバルが軽自動車の生産を去年止めてしまいました。とても残念です。

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[ 2012/03/07 12:27 ] 道具 | TB(0) | CM(1)

大室山(北尾根)

日程    :2012年3月1日
メンバー :単独
天気   :曇り
コース  :別荘地(出発)8:30→10:15P943→12:50大岩(標高1400m)13:00→14:00山頂14:20→14:35大岩
        →15:50P943→17:00別荘地
大室山北尾根
記録   :昨日雪が降ったので思い立ってまたまた大室山北尾根に来た。前回は北尾根だと思って登ったのが茅の尾根だったが今回は本物の北尾根。前回隣の尾根が気になっていたので好都合。
除雪したばかりの山道を愛車で走り登山口付近に車をデポ。早速仕度をするが30cmくらいの新雪が積もっている。
大室山北尾根1
早速スノーシューをつけて登山口を探すが雪で埋もれて踏み跡が見つからず、面倒とばかりに別荘脇の杉林に入る。
大室山北尾根2
杉林の中は新雪で埋まっていて融け始めた雪が梢からバサバサと絨毯爆撃のように落ちてくる。
(本物の絨毯爆撃があった時期は乳飲み子だったけど)
大室山北尾根3
杉林を登るとすぐに林道に出た。この林道は右奥にある谷にある堰堤まで続いているようなので少し歩いてから適当なところから左側の尾根に取り付いた。
大室山北尾根4
すぐに尾根上にでて左の植林と右の雑木林の間を登る。多分この雪の下には踏み跡があるのだろう。
大室山北尾根5
次第に尾根状になって来る。雪も少しずつ深くなって来る。
標高943mのピーク手前で大室指(オオムロザス)方面からの登山道が合流する・・・ことになっているが今日は踏み跡も雪の下であり、標識もないので地形図上だけの確認。
2つほど10~20mのピークを超えるとあとは山頂まで登り一辺倒だ。
ひたすらユックリユックリ登る。全部林の中なので山頂は望めないが右には1420mくらいの加入道山手前のピークが見える。
大室山北尾根6
中々変化しない高度計をにらみながら登っていると標高1400mでいきなり目の前に10m以上もある黒々とした大岩が立ちはだかった。
大室山北尾根7
大岩の根基はハングしていて少しだけだが雪が吹き込んでいない地面が見えていた。ここなら1晩くらいはツエルトを被ってビバークできそうだ。
大室山北尾根8
この大岩の脇を登ると斜面は緩やかで広々となる。
ヘロヘロになりながら広い斜面を登っていると2人分のスキーの新しいシュプールに出会った。
多分茅の尾根からスキーを担ぎ上げたのであろう。
大室山北尾根9
やっと山頂に到着。前回より30cm以上雪が多いような気がする。
茅の尾根8
(この写真は2月15日にきた時の写真。短足なので判断しにくいが約40cmは違うかもしれない)

犬越路方面からのトレースはないので、降雪後に山頂に来たのは道志側からのスキーの人達ちと自分だけのようだ。
しばらく休んで往路を下る。長いナガイ・・・黙々と下って薄暗くなって車に辿り着いた。
今回は標高差1000mの新雪全部をスノーシューで登ったことになる。
丹沢でこんなことが味わえるとは思ってなかったので少しだけ「丹沢も捨てたものではないな」と満足。
   
[ 2012/03/05 19:50 ] 積雪期 | TB(0) | CM(2)
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ucon

Author:ucon
団塊世代前の自称”昔の山男”です。仕事に追いまくられている間は山どころではなかったけど、定年を機に青春を懐かしんでまた登り始めました。これからドンドン友達を増やして、青春を取り戻そうと目論んでいます。・・が、2年前に変人(片腎(腎臓を1コ切除))になってしまいましたので、ガンガンは無理だよな~~・・分かってはいるけど・・おまけに性格も悪いしな~
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